常に選択に迫られています。
右に行くか、左に行くか。
選択するか、しないか。
留まるべきか、進むべきか。
そして、決断して選択をします。
全ての選択を自分で決めている。と思っていますが、
それは大きな間違いだったんです。
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「自分で選択したことは1つもない」
by Noh Jesu
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どういうことかというと、
Imageしてみてください。
あなたは車を運転しています。
どこにドライブに行こうか、目的地を決めて、
高速を飛ばして行こうか、
下道でのんびり行こうか、
あれこれ考えて、行く道を選びます。
普段、よくある場面ですが、
車は誰が運転しているでしょうか?
ハンドルを握っているあなたが、
車を運転して、コントロールしていると思いますか?
運転しているのは「道」
私たちは、車を自分で運転して、
行く先を自分で決め、
自分で選んだ道を走っている。と思い込んでいます。
車を運転している時、
「道」がないところは走りません。
「道」が既に決定されている中で
選んでいるに過ぎないのです。
そもそも「道」がない公園や、
野原など、車で走って行こうと思いますか?
「道」がないところは、
『選択肢』にも入らないのです。
「道」の存在に気づかず、
「道」の創り方も解らないまま、
既に決まっている「道」の中で選んでいるだけ。
これが人生だったらどうでしょうか?
「道」の創られた背景、作り方を解れば、
今ある「道」を壊して、新しく作り直すことも、
まったく新しく作り出すこともできるのです。
その教育が “観術 -kanjutsu-” です。
認識が、世界を変える!
Schritt für Schritt
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