2016年1月12日火曜日

自分で選択したことは1つもない

人は生まれてから、毎日の生活の中で、
常に選択に迫られています。


右に行くか、左に行くか。

選択するか、しないか。

留まるべきか、進むべきか。


そして、決断して選択をします。

全ての選択を自分で決めている。と思っていますが、
それは大きな間違いだったんです。

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「自分で選択したことは1つもない」

          by Noh Jesu
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どういうことかというと、

Imageしてみてください。

あなたは車を運転しています。

どこにドライブに行こうか、目的地を決めて、

高速を飛ばして行こうか、
下道でのんびり行こうか、
あれこれ考えて、行く道を選びます。

普段、よくある場面ですが、
車は誰が運転しているでしょうか?


ハンドルを握っているあなたが、
車を運転して、コントロールしていると思いますか?



運転しているのは「道」



私たちは、車を自分で運転して、
行く先を自分で決め、
自分で選んだ道を走っている。と思い込んでいます。


車を運転している時、
「道」がないところは走りません。


「道」が既に決定されている中で
選んでいるに過ぎないのです。


そもそも「道」がない公園や、
野原など、車で走って行こうと思いますか?



「道」がないところは、
『選択肢』にも入らないのです。



「道」の存在に気づかず、
「道」の創り方も解らないまま、
既に決まっている「道」の中で選んでいるだけ。


これが人生だったらどうでしょうか?


「道」の創られた背景、作り方を解れば、
今ある「道」を壊して、新しく作り直すことも、
まったく新しく作り出すこともできるのです。


その教育が “観術 -kanjutsu-” です。







認識が、世界を変える!
Schritt für Schritt

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