2013年10月28日月曜日

009_問題はどこから来るのか

私の最近の関心事は、

「問題はどこから来るのか?」という事です。


この1週間で問題について考えさせられた
機会がいくつかあったのですが、
3つの問題から改めて考えてみたいと思います。


1つ目は、リーダーシップの問題。

先週第1回目が開催された
「 Group Leader Ship 100人Project! in 関西 」で、

・今までのリーダーシップについて
・そのリーダーシップの結果、起きてる問題について
・その問題の原因とは...
・様々な原因に共通する原因とは...

このようなテーマを、参加された20人くらいの方たちと
ディスカッションしていきました。

参加された中には、学生、大学の教授、経営者の方や
接客業、営業、教師、気功士、医師などなど、
とにかく様々な職種と年齢の方で話していきましたが、
“ リーダーシップ ”について起きてる問題は
業界や職種に関係なく、共通している事が解りました。


2つ目は、会社で出会う問題。

どんな業種や立場でも、組織の中で起こる問題は
だいたいの場合、

・お互いの認識不一致
・コミュニケーション不足

また個人で言えば、

・やる気、モチベーションの問題
・アイディア、主体制、自己管理の問題

などが挙げられます。

どちらの場合も、問題は“ 人 ”から始まっているという事です。


最後3つ目は、友達や家族などの人間関係の問題。

最近、学生や20代前半の方と話す機会が多かったのですが、
話していると、

・人見知り
・親が極度の心配症
・本音で話せない

という事がどれかしら出てきます。

どの場合も、外との交流が制限されて、
自分の考えられる範囲、行動できる範囲の中で
なんとか問題解決しようとして、
結果「上手くいかない」という事が起きています。


私がこの3つの問題を考えた時に、
共通する原因が“ 人 ”であるのは間違いないのですが、
もう少し具体的に言うと、

“ 人に対するImage ”です。

“ 人 ”というのは、特定の誰かではなく、『 人間 』です。


『 人間 』に対して、どんなImageを持っているのか。

『 人間 』をどういう存在として、規定しているのか。


・人間はどうせ解りあえない
・人間は裏切るもの
・人間は1人ではなにもできない

そんな“ 人間 ”に対してのImageや規定が
いつの間にか“ 自分 ”にすり替わって自分のImage、
自分の規定になってしまいます。

そこから、人間、人、自分に対して

・どうせやっても無理という諦め
・新しいChallengeに対しての恐怖
・どうなるか、結果に対しての不安

こういったものが生まれているように思います。


“ 人間 ”とはどんな能力を持っている存在なのか

“ 人間 ”の可能性、素晴らしさが何なのか...


“ 人間 ”に対しての今までの規定を一旦リセットして
再規定する事の必要性を改めて感じました。


“ 人間 ”の可能性、素晴らしさに確信が持てれば、
不信、不安、恐怖、諦めというものは
生まれたとしても、それを乗り越えようとか、
Challengeしようという勇気を持つことができます。


越えられない「問題」に立ち向かう気持ちと、
越えられると思えるまたはImageできる「問題」に立ち向かう気持ちでは
その問題に向かう姿勢・態度が全然変わります。


その“ 人間 ”に対しての規定の変化が
問題の解決に繋がる事であり、
今、必要とされている事だと思います。



「人間の再定義が21世紀人類の使命だ」  by 未来学者 アルビントフラー

「教育とは人間の可能性を理解する事だ」  by 観術創始者 ノ・ジェス







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2013年6月9日日曜日

008_組織と雲

組織をどうにか変えようとしても組織は変わらない。
それは、組織は存在しないからです。

組織とは、個人個人の繋がりによって成り立っています。

会社であれば、各部署その中のグループ、チーム、個人。
会社を構成する基本単位は個人です。

個人と個人が集まって、チームができ、グループができ、
それぞれの部署が成り立っています。

“個人”がいなければ、組織は成り立ちません。
言ってみれば、集まっているから存在するように見えるだけで、
そらに浮かぶ雲のようなものです。

地上から空を見たら雲はもくもくとしていて、
存在してるかのように見えます。
実際、小さい頃の私は、「雲はある」と思っていました。

でも実際は、近づいてみたり、雲の中に入ってしまえば、
形はなく、「雲」を見る事も掴む事もできません。
水滴の集まりでしかないからです。


個人と個人の関係性が変わらなければ組織は変わらない。

個人が変わらなければ、個人と個人の関係性も変わらない。


逆を言えば、個人が変われば、
個人と個人の関係性が変わり、企業が変わり、
さらには、社会が変わり、世の中が変わる。時代が変わる。


個人が変わる事の影響力は∞


じゃあ、個人がこれからどう、変わるべきか。

どんな社会を創る為に、人が変わっていくべきか。

新しい社会とはどんな社会なのか。


考えると果てしないですが、今日はこの辺で。
多くの人とこんな事を話せる事を楽しみに...♪






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2013年5月5日日曜日

007_変化を創るには“方向性”

久しぶりの更新となりました。
ここ最近、慌ただしい毎日だった日常が、
やっと少し落ち着いて、それまでを振り返ってみると、
3月に更新していた自分のBlogの状況とあまり変わりがなかった事に気づきました。


“環境”と“方向性”について、前回“環境”について整理していましたが、
「“方向性”が必要だった」という事に気づいていたにも関わらず、
日常に実践できていなかったことにショックを受けつつ、
改めて整理して、日常に応用していきたいと思います。



変化をする為には“方向性”が必要です。



これがないままで、いくら行動を変えてみても、
いろんな限界にChallnegeしても、有効な変化が創れなず、
結局、いつものパターンを繰り返し、変わらない結果となります。


“方向性”...別の言い方をすれば、


『目的と目標』=『出発とゴール』

~ 何のために、どこに向かっていくのか ~



“方向性”が決まると、そこに「基準」が生まれます。


その目標・ゴールに行く為には、

今、必要か必要じゃないか。

優先すべきがそうじゃないか。


「基準」がはっきりしていれば、考えも行動も取捨選択できてSimpleです。



“方向性”があれば、道を逸れても立ちもどる事もできます。

軌道修正することができます。



“方向性”があれば、失敗してもそれを次に活かすことができます。



かつて私は「大嫌いな自分」から自分を変えたくて、
でもどんな自分になりたいかのImageなく、

とにかく「今の自分」じゃない自分に変わりたい!と
いろんなChallengeをして苦しんだ経験がありました。



「どんな自分になりたい」というImageなしに、
自分を変えていく事には限界があります。


それは、個人の変化も組織の変化も同じ事です。


闇雲に突き進んだ結果、辿り着く訳ではなく、
明確なゴールがあるから、目指し続けていく事ができ、
結果、辿り着くことができるんだと思います。


できていない事に自己否定したり、絶望するのではなく、
自分の癖を解って、Challengeしていくこと。

それが今、私にとって必要な事だと解りました。


それを気づくことができたのは、
私の変化を応援してくれて、私の癖を日頃から関心を持って
接してくれる身近な仲間があるからです。


みんな、いつもありがとう


「なりたい自分像」に磨きをかけて、
さらなる変化にChallengeしていこうと心に決めた今日この頃でした。






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2013年3月24日日曜日

006_環境を創り出している個人

最近、よく目にする、耳にする状況があります。
その出来事に共通点を探してみると、
今、必要なことがわかってきます。


その共通点とは、“環境”と“方向性”です。


今日は“環境”について、整理してみたいと思います。




“環境”は個人にとって影響の大きいものです。


「家庭環境」もそうだし、「職場環境」もそうだし、
住んでいる地域であり、一緒にいる人であり、
私たちはいろんな“環境”に影響を受けながら、いろんな経験をして、
自分を形成していきます。


影響が大きい分、何かうまくいかなかった時、
“環境”のせいにしたくなることもしばしば。。。


『“環境”は大きなもので、私にはどうにもできないもの』



そんなImageありませんか??



でもそれが「違った!」という事に最近、気づきました。




環境が創られる構造とは。。。

構造はいつでもSimpleです。



input → 編集・デザイン → output



人は常に情報をinputして、自分の中で解釈して様々な考えや感情、言葉、行動をoutputします。



例えば、日常でいつもいつも「不安」をoutputする人の場合


どんなinputが入っても「不安」

1人で居ても他の人が自分の悪口言ってないかと「不安」

人と居ても嫌われないかと「不安」

目標がない自分にこのままで大丈夫かなと「不安」

目標を持っても達成できるか「不安」...



何がinputされてもoutput全てが「不安」だとしたら、
その人は「不安」の環境を自分で創り出しています。


それがお母さんだったらどうでしょう。
「不安」から始まる考え、感情、言葉、表情、行動。


その「不安」の環境の中で育つ子供はどんな考えや感情が育っていくでしょうか。



自分で量産した「不安」に溢れた海の中で、
「不安」といつも交換・交流して、さらに「不安」を創り出している...


「不安」の連鎖は止まりません。



1人1人が環境を創り出すことができる個人です。


1人1人の考え、感情、言葉、表情、行動が溢れて創られているのが“環境”です。


私の考え、感情、言葉、表情、行動の1つ1つが
誰かの環境でもあり、自分自身の環境にもなっています。



環境を創っている自覚と責任を持って、
日々の考え、感情、言葉、表情、行動を蓄積していきたいと思います。
それが今、私に必要な事だと実感しています。



みなさんの“環境”には、
どんな考え、感情、言葉、表情、行動が溢れていますか?


1人1人が与える影響力もまた∞ですね。








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2013年3月16日土曜日

005_韓国冒険記 ~人との出会い編~

2013/03/08~2013/03/10で行った韓国。

様々な出会いがありましたが、今日は「人」との出会いを通して
感じた事を書いてみたいと思います。


『韓国人は健康的!』

すべてここに集約される気がします。


どういう事かというと、

韓国の方はとってもエネルギーに溢れています。
話し方、表現の仕方もそうなんですが、

とにかく、思ったことは表現する、

困っていそうなら話しかける、

慣れていなさそうなら教える...


とってもシンプルな事ですが、
それが当たり前として、習慣化されている印象を受けました。



食べに行ったお店では、日本人で慣れていない様子に
食べ方をやって見せてくれたり、教えてくれたり、


行列だったプルコギのお店では、
「111番」だった番号札の私たちに
テイクアウトにしたからと日本語が話せないにも関わらず、
「86番」の番号札をあげるからと一生懸命話しかけてくれたご夫婦がいて、

その後にも、お友達と待ち合わせで先に並んでいたからと
「63番」の番号札をくれた女性グループの方がいて、

結局私たちは、普通で待ってた場合の
半分の順番でテーブルに案内されました。


知らない人にも外国人にもするのが当たり前。
普通の事という感じでした。
(たくさん並んでる方がいる中で、
 なぜ私たちにくれたのかはナゾですが...!?)



それに街の中に「カフェ」が多かったのも、
繋がっているように思うのですが、

とにかくしゃべってる人が多いです。どこでも。


だからしゃべる為にカフェに行くし、
ご飯はパッと食べて、その後カフェでしゃべる。


食べる時は「食べる」。しゃべる時は「しゃべる」

そんな習慣もあるのかなと思いました。



他にも、たまたまかもしれませんが、

今回、行った食べ物屋さんは
割と有名で名の知れたところだったこともあってか、
「単品メニュー」のお店が多かったんです。


メニューは1品だけ。


それだけで勝負してます!といったお店ばかりで、

考えてみたら作るのも、
材料を仕入れるのも、

単品メニューであれば効率がいいです。


だから安くもできるし、
技術も鮮麗されるし、


「そのメニューを食べにそのお店に行く」


当たり前ですが、
「そのメニューを食べたくなければ、行かない」


というのが、とってもはっきりして解りやすい。

それも韓国人の方の特徴の様に感じました。



共通するのは『シンプル』


「思ったら言う」

「言ったらやる」

思ってる事と、言ってる事、やってる事が
そのまま表現されている。


だから、受け取る側もそのまま受け取るし、
変に裏を考えたり、気にしたりしてる様子もなく、
そのやり取りが早い!

交換、交流が早いから循環して、
エネルギーも活性化するし、
相乗効果も生まれて、より活性化するから
活気が生まれているんだと思いました。



体の健康も「食べたら、出す」
このシンプルな仕組み通りが一番健康なように、


本来、『シンプル』が健康の秘訣なのかもしれません。


日本であれば、

「思っていても場の空気が...」とか

「ここで言うと後で面倒だから...」とか

「そう言ってるけど、実は...」とか

表と裏の建前も習慣のひとつだったりします。



それぞれ良し悪しはある事ですが、

どっちもできて、その場に応じてコントロール(使い分け)できれば、
どちらも道具として、武器として使えるものです。



こんなに正反対な日本と韓国だからこそ、
お互いに学ぶべきところも多いというのを実感した出会いでした。


日本人の可能性。

韓国人の可能性。

お互いの可能性に、さらに可能性が広がります。









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2013年2月11日月曜日

004_新しい問題解決策

この3連休で気づいたこと。。。


世の中には、極と極が存在します。

「好き」と「嫌い」

「正しい」と「正しくない」

「勝ち」と「負け」

「重要」と「重要じゃない」

「善」と「悪」などなど...


その極と極を判断するためには、“基準”が必要です。


どんな“基準”かによって、
その判断が変わります。


その“基準”はどこまでの範囲に通用する“基準”なのか。


時間・空間・存在それぞれに言うことができます。



例えば、


時間・・・その“基準”は、
     現代だけに通用するのか、古代だけなのか、
     それとも過去も未来も通用する“基準”なのか


空間・・・その“基準”は、
     住んでいる地域だけなのか、住んでいる国だけなのか、
     それとも世界、それ以上に通用する“基準”なのか


存在・・・その“基準”は、
     その“基準”を持っている 私 だけに通用するのか、
     私の家族だけなのか、私の組織だけなのか、
     それとも、世界中70億人すべての人に通用する“基準”なのか



部分的な範囲にとどまっていては、
その範囲の外が存在し、
解りあえない、通じない領域が存在している事になります。



今まで、世の中の問題解決は、

「どっちが正しいか」

「どっちを優先するか」

という質問に対して、『どちらか一方が正しい』と思い、
選択し、現実化してきました。


本当に正解は極と極のどちらか一方なのでしょうか...?



『どちらか一方が正しい』という次元では、
「賛成」⇔「反対」が存在し、「勝ち」⇔「負け」が存在し、
終わりなく対立を生みだし、衝突が繰り返されていくことになります。



新しい解決策とは、
極と極という相反する異質な意見、観方(観点)を
融合できる(どちらも満たせる)領域(場)を共有する事です。


それは言ってみれば、
「ひまわり」と「あさがお」という異質の種が
お互い花を咲かせる為に、どちらにも必要な『土』と『水』を共有し、
どちらも綺麗な花を咲かせるというようなImageです。


お互いの個性を活かせる『場=Field』を創っていく事、
その観点に移動した人、移動させていく人を量産していく事、
それが、私たち“マインドームコーチ”の役割です。



私がやっていく「仕事」とは、
こういう事なんだと改めて確認することができました。


どんな状況、どんな出来事と出会っても、
変わらない「仕事」なんだと、気持ち新たにスタートしていきたいと思います。



“人の可能性は∞”
私もその1人であるという事を忘れずに、
どんな限界と出会っても、一歩、また一歩と進んでいきたいと思います。








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2013年1月19日土曜日

003_問題を解決する突破口

今日は国際政治ジャーナリストである日高義樹さんの
講演会に参加してきました。

http://manapi-world.org/occ/occ_001.htm


講演でおっしゃられていたのは、
 
 ・世界の中でアメリカの影響力、抑止力が弱まっていて、
  これから益々、世界秩序が乱れてくる事

 ・アメリカと日本の関係性が変化していて、
  今までのように「日本を守ってくれるアメリカではなくなっている」事

 ・そのアメリカの変化を日本が気づいていない事


講演の中で印象に残ったことは、

「すべて知っていると思っていても、実際は事実と違うことも多く、
 知らない事が多々ある」

とおっしゃっていた事です。
とても共感しました。

日高さんは「日本人は...」と限定しておっしゃっていましたが、
世界中の人、みんなに言えることだと思いました。

 人は「今まで」そうだった事が、この先ずっと続くと無意識に思っています。
 
 変化に気づいても「なんとかなる」とか、「同じようにうまくいく」と思っています。


今までの「常識」、「秩序」、「当たり前」、「前提」が、
実は「思いこみ」、「間違えている事」というのが多々あり、
それが問題の原因を解らなくさせている事に繋がります。



「思いこみ」というくらいなので、
自分では「思いこんだ」後にしか意識がなくて、
なかなか「思いこみ」ができる前の事は解りにくいし、疑う事も難しい領域です。


だから余計、「思いこみ」に気づかず、
間違った「前提」から物事を考え、整理し、
問題を解決しようとしても、的外れだったり、
うまくいかないという事が起こります。



1人1人の「思いこみ」「当たり前」が集まって
社会の常識、時代の秩序が創られていきます。


だとしたら、1人1人の「思いこみ」「当たり前」を
生み出す原因をはっきりさせる事で
問題を解決する突破口が見えてくると思います。



何が「思いこみ」「当たり前」を創り、固定させてしまうのか?



その『原因』をはっきりさせること。
それが、あらゆる問題を解決する事になり、
それをするのは私たち1人1人なんだと思いました。






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2013年1月14日月曜日

002_映画「レ・ミゼラブル」を観て

私の周りの方たちが観ている方が多く、
感想を聞いたり、読んだりしてとても観たくなり、観てきました。

大きく言うと、『本当の自由とは?』『本当の愛とは?』
それを考えさせられる映画でした。



“自由”

時代はフランス革命後。
王を倒しても、別の王政ができ、民衆たちは
その日生きるか死ぬかの毎日を送っていました。

住むところも仕事も、生き方も自分で選ぶことが難しく、
当時の法律や身分、立場によって限られてしまう支配された人生です。

その中でジャン・バルジャンは“自由”になりました。

なにから“自由”になったのか...?

それは、王政や社会に対しての怒り、憎しみから。
そして、常識、法律、正義にさえも縛られない自由なんだと思いました。


社会の中で常識や法律、正義がありますが、
これは時代と共に変わってしまうものです。

限られた範囲にだけ通用するものでは、その立場の枠を超えた時、
それまでの常識では通用せず、別の選択を迫られるんだと
ジャベール(ジャン・バルジャンを追い続けてた警部)を通して感じました。


“愛”

映画の中では、いろんな“愛”が登場します。


司教の愛、親子の愛

仲間との愛、パートナーとの愛、片想いの愛...


どの“愛”もとても偉力があり、共通して言えるのは、
どんな条件、状況、環境にも変わらない“愛”だという事です。

自分の危険、恐怖、どんな結果になることも関係なく、
愛する人への想いを貫くために、どんな事をしてでも成し遂げようとする
強烈な力、意志です。


この映画を観ていて、何度も泣きましたが、
「感動」というより、「悲しみ」を強く感じました。

それぞれが、それぞれの神に誓い、
それぞれの正義の下、使命感を持って、人と人が殺しあう。

こんなに悲しいことはありません。


「もう殺さないで」

という魂の叫びのようなものを感じました。
それは現代にも通じます。

今も世界の国々で紛争、戦争が繰り返されています。
戦争がない国でも、例えば日本でも、体の命は殺されることがなくても、
人の可能性や魂が殺されているように思います。

お互い攻撃したり、排除したり、否定したりしていても
争い、衝突は決して終わらせることはできません。

司教やジャン・バルジャンが見せてくれたように、
これから私たちは、個人個人の枠を超えて、
どんな条件、状況、環境になったとしても、自由な心と変わらない愛を貫いて、
新しい社会を創っていかなくてはいけないと思いました。





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