2015年8月28日金曜日

052_日本の “選択”

映画「日本のいちばん長い日」を観てきました。

戦後70年。

私たちの世代はもちろん、
私たちの親の世代も戦争を経験していない世代です。


この映画を観て、
『戦争』というものを経験している方と、そうでない方では、
同じ「戦後」という時代を生きていても、

生き方、生きることの意味、価値、考え方が、
全く違うものになると思いました。


『戦争』を経験していることも大きいことだと思いますが、
『終戦』を経験していることの影響が、より大きいように思います。



『終戦』に対して、
それぞれの立場で受け入れ方も様々で、
あらゆる違いによる摩擦、対立、衝突が映画の中でも描かれていました。


国を守るため、戦い抜いてきた軍人としての立場

決定を命じる、幹部としての立場

国を担う、総理大臣としての立場

世界を観ていた、天皇としての立場...


でも、共通するところもあり、どの立場の方たちも、
国の未来を想い、今までの全てを終わりにさせたとしても、
決して消えることのない願いを託して、受け入れていたように感じました。



たった1つの願いを叶えるために、
全てを放棄する。



その “選択” をした日本の強さを感じました。
この願いの振動が、今も消えることなく続いています。

そして、70年の時を経て今、『戦争』を経験していない私たちにも
その振動が共鳴して、大きな振動が起きようとしているのだと感じました。



私たちの “選択” が未来を創る









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Schritt für Schritt

2015年8月16日日曜日

051_偏った「観点」が「観点」を創る

先日、書店である1冊の本を手にしました。
戦後の歴史についての本でした。

読み進めていく時に、何か違和感というか、
読みにくさを感じました。

それは、文章の表現、ニュアンス、単語の使い方に偏りがあること。
それと同時に、この本を読んだ読者に偏りを与える可能性があるということ。
それに気づきました。


歴史についての本なので、もちろん色んな「観点」があり、
どの「観点」から表現するのかで、全く違うストーリーが展開される。
それは重々承知していたのですが、

ほとんど戦後についての知識がなかったり、
歴史を知らなかった人が読んだ時に、
読み進めていって、その論理に納得すれば、
本を読み終わる頃には、その偏った「観点」を創り出してしまうと思ったのです。


当たり前のようで、すごく恐いことだと思いました。
日本人は特に歴史について関心が薄かったり、
学校の教科書だけでは年表レベルの知識しかありません。


そんな日本人が偏った「観点」に気づかず、
新しい知識としてインストールしたら...そう思ったら本当に恐いです。


それに、同じように偏った「観点」で知らず知らずに
「観点」を創り上げていくことが、リアルに実感として感じられました。


でも、これも日本人であればこそですね。
相手に合わせて「他者(外)を基準にする」という出発があるからこそ、
外や環境から創られやすいというのも思いました。



文末の言葉が肯定文か、否定文かで感じ方が違うというのは、
解りやすい例だと思います。
でもそれだけではなく、
肯定、否定はあくまで誰かの基準によるもので、判断しています。


本であれば、著者がその判断元になりますが、
事実と意見が混ざっていることが余計に読者を惑わします。

また、「〜のようだ」とか「〜かもしれない」などの
曖昧な表現も多く、どこまで解っていることで、
どこからが推測なのかということも曖昧になってしまいます。


『どんな事実があったから、この意見と判断する』


そういう表現でなかったとしたら、
著者がどんな事実に対して、そう判断したのかが見えにくくなりますし、
著者の「意見」が「事実」かのように
思い込んでしまうことも、あるのではないでしょうか。



私が手にした本の著者は、日本に対しての想いに溢れ、
なんとか日本人の敗戦国として卑下している認識を改め、
誇りを取り戻させたい!そんな強い想いを感じます。


想いが強いからこそ、対極の意見や見解に対して
強く否定的な表現を使っているように感じました。


私は、この本の著者の表現が正しいとか、間違っているとか
そういう事が言いたいのではありません。



情報を正しく認識する為にも「観点」に対しての理解が必要です。



どちらが正しい、間違っているの論争では、
平行線が続き、決して解決することはできません。



対極の意見をwin-loseにさせることではなく、
それぞれをwin-win、さらには全体を底上げするall win
そのVISIONを提案できる「観点」が必要なんだと思いました。








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2015年8月11日火曜日

050_二度と戦争をしないと決断した国

8.6広島、そして8.9長崎の70周年を迎えて思うこと


唯一の被爆国である日本

その日本という国に生まれた私たちが発信するメッセージ


“二度と戦争をしないと決断した国”


「原爆」という非人道的な道具により、
一瞬にして広島14万人、長崎7万人とも言われる命が亡くなりました。


人だけでなく、街も壊滅状態。
残ったのは苦しみ、恨み、痛み ...

それでも、先人たちはその思いを平和への願いに変え、
後世に語り継ぎ、バトンを繋いでくださって現代があります。



戦争を経験していない私たちも、
受け継いだ思いとメッセージを発信していかなければなりません。


“二度と戦争をしないと決断した国”


日本人は争いを嫌います。避けます。
丸く納めようとします。

そんな風潮がよくみられますが、
それを悪いことのように解釈されることも多く見られます。


でも、私たちは先祖から受け継いだ思いにより、
争いではない解決策を模索してきたのだと思います。


世界中で戦争の準備を着々と進めています。
戦争になれば、地球を破壊する程の核兵器や、
軍備を持って、戦争の準備を行っています。


私たち日本が“戦争”をしないというならば、
世界に対して別の闘いを挑まなければならない。


日本が挑むべき闘いは“教育”です。


おもてなしの心、
不動心、無刀の心、
気配り、思いやりの心を文化として育て、
習慣化してきた日本人だからこそできる闘い。


それが“教育”です。


血を流すことのない闘いが始まっています。
暴力、権力、財力などの力による闘いを終わりにさせる闘いです。


70周年を迎える2015年だからこそ、
新しい動きを動き出すきっかけに!


新しい未来の出発の年に。
恒久世界平和を目指して...








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2015年8月2日日曜日

049_脳科学の達人に触れて

脳科学の達人〜市民公開講座〜に参加してきました。

現役の先生たちの最先端の研究について、
解りやすく聞ける、貴重な機会でした。しかも無料で。

4人の先生たちが取り組んでいる研究について、
面白、おかしくプレゼンしてくださって、
どのお話もとても興味深かったです。


各分野の研究がどれほど大変なことなのか、
そして、どれほどそこに情熱をもって取り組んでいるのか、
とても強く感じました。


こうやって日々の研究をされている方がいるからこそ、
これまでの豊かな社会が創られてきたと思います。


一方で、細分化された専門分野のお話は、
似ている領域があっても繋がりを理解するのが難しいこと、

また、仮説を立てて実験を繰り返す、その発想も偶然的、直感的な面も多く、
答えを導き出すには、果てしない時間と労力を要することだと思いました。


今までの前提を覆す概念が出てきた時、
それをどう受け入れるのか、取り入れるのかというのも
気になるところだなと感じました。


市民講座では、質疑応答の時間がなく、
もっと先生たちのお話を聞いてみたかったです。

馴染みのない素人には、なかなか用語や知識がなく理解が難しいところもありますが、
近い将来、Imageを共有して共通言語を使って、立場の全く違う人たちが
ディスカッションするなんて光景が見れたら面白いと思いました!


日本神経科学大会 市民講座
http://www.neuroscience2015.jnss.org/open_lecture.html


あと、いつもこういった興味深いテーマの講座や講演会に行って思うのは、
会が終わって、そのまま終わってしまうということ。
せっかく興味を持って集まっているのに、
同じテーマで話を聞いている多くの人たちと、
「話を聞いてどうだったか?」とか、「どう感じたか?」とか
感想をシェアできたらいいのに!


会場には学生からご年配の方まで、
どのくらいでしょう500人くらい居たかもしれません。
思わず近くに居た学生の方に声を掛けて、
感想のシェアをさせていただきました(笑)


娘さんの誘いで一緒に来てた親子さんでしたが、
親子で脳科学の講座っていいですよね!
素敵な出会いもできて、大満足の市民講座でした。







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