それは違うよ!とツッコミがきそうですが、
同じではないですよね。
私たちは今までに、たくさんの知識、情報をinputしてきました。
友達から、家族から入ってくる話や、
学校や、セミナー、講座などで学ぶ内容、
本、雑誌、テレビなどで入ってくる情報、
電車や街中のポスターなど、目に飛び込んでくる言葉、
インターネットで検索結果から得るデータ...などなど。
インターネットの普及によって、
あらゆる情報やデータを、誰もが「知る」ことができる時代です。
では、専門分野や業界、得意ジャンル、カテゴリーなど、
「知っている」情報、データからどれだけ「解っている」と言えるでしょうか?
「解る」とはどう定義することができるでしょう?
ある人は言いました。
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「解る」とは、
ⅰどこから、
ⅱどこまで、
ⅲどのように解ること
これを答えられなければ、「解る」とは言えない!
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皆さんは「解っている」ことはありますか?
「解っている」と思うものの、
上記の ⅰ〜ⅲを答えられるでしょうか!?
これは、人間が知ることができる範囲、
つまり、認識できる範囲の『全体像』が解らないと
このように定義することはできません。
ちなみにこれを定義した人は、観術創始者のNoh Jesuです。
最後に、「解る」を象徴する彼の言葉をご紹介します。
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HITOTSUが解れば、全てが解る
HITOTSUを解らなければ、全て解らない
by Noh Jesu
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HITOTSUの秘密を「解る」ことが、
あらゆる「知」の可能性を広げる鍵ですね。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
認識が、世界を変える!
Schritt für Schritt
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