2013年1月14日月曜日

002_映画「レ・ミゼラブル」を観て

私の周りの方たちが観ている方が多く、
感想を聞いたり、読んだりしてとても観たくなり、観てきました。

大きく言うと、『本当の自由とは?』『本当の愛とは?』
それを考えさせられる映画でした。



“自由”

時代はフランス革命後。
王を倒しても、別の王政ができ、民衆たちは
その日生きるか死ぬかの毎日を送っていました。

住むところも仕事も、生き方も自分で選ぶことが難しく、
当時の法律や身分、立場によって限られてしまう支配された人生です。

その中でジャン・バルジャンは“自由”になりました。

なにから“自由”になったのか...?

それは、王政や社会に対しての怒り、憎しみから。
そして、常識、法律、正義にさえも縛られない自由なんだと思いました。


社会の中で常識や法律、正義がありますが、
これは時代と共に変わってしまうものです。

限られた範囲にだけ通用するものでは、その立場の枠を超えた時、
それまでの常識では通用せず、別の選択を迫られるんだと
ジャベール(ジャン・バルジャンを追い続けてた警部)を通して感じました。


“愛”

映画の中では、いろんな“愛”が登場します。


司教の愛、親子の愛

仲間との愛、パートナーとの愛、片想いの愛...


どの“愛”もとても偉力があり、共通して言えるのは、
どんな条件、状況、環境にも変わらない“愛”だという事です。

自分の危険、恐怖、どんな結果になることも関係なく、
愛する人への想いを貫くために、どんな事をしてでも成し遂げようとする
強烈な力、意志です。


この映画を観ていて、何度も泣きましたが、
「感動」というより、「悲しみ」を強く感じました。

それぞれが、それぞれの神に誓い、
それぞれの正義の下、使命感を持って、人と人が殺しあう。

こんなに悲しいことはありません。


「もう殺さないで」

という魂の叫びのようなものを感じました。
それは現代にも通じます。

今も世界の国々で紛争、戦争が繰り返されています。
戦争がない国でも、例えば日本でも、体の命は殺されることがなくても、
人の可能性や魂が殺されているように思います。

お互い攻撃したり、排除したり、否定したりしていても
争い、衝突は決して終わらせることはできません。

司教やジャン・バルジャンが見せてくれたように、
これから私たちは、個人個人の枠を超えて、
どんな条件、状況、環境になったとしても、自由な心と変わらない愛を貫いて、
新しい社会を創っていかなくてはいけないと思いました。





人の可能性は∞
Schritt für Schritt


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